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木村太郎氏インタビュー「インターネットラジオと地球的関心」

 日本のインターネットラジオの黎明

湘南ビーチFMスタジオ外観

ラジオ局を始めたとき、多くの人に聞かせる方法はないものかと考えてた。放送が湘南に限定されているし、当時は出力も弱くて聞こえにくかったんだ。そんな時、パソコン通信を使って「AP 通信」のニュースを探していたら、インターネットでラジオが配信できることを知った。これは何だろうと思ったね。
ラジオには何万っていう文化を持った情報発信している人が、世界中にいる。そんなラジオの世界はインターネットと相性がいいと思って、日本で一番最初にインターネットで放送を配信する仕組みをたちあげたんだ。

 インターネット放送に求められるコンテンツ

インターネット放送を始めて、電波と同じコンテンツでも、インターネットで流すときは取りに来る人が一生懸命探して能動的に通信料を払って取りに来ているという特徴があることに気がついた。
インターネットに乗ったとたんに、大手メディアや小さいメディアという区別がなくなっちゃうんだ。全部フラットな同じメディアになる。つまり、対等に勝負がはじまるということ。
僕はインターネット放送を始める人に「インターネットを始めて世界中から聴きにきてくれると思うだろうが、逆にリスナーは世界中の放送を聴きにいってしまって自分のところには聴きに来なくなるぞ」と言っている。
だから湘南ビーチFM では「世界のみなさん」という放送はやめよう、「やっぱり湘南のにおいが、潮風を感じるような放送がなきゃだめだ」と言っている。ローカルに特化すると世界中から探してリスナーが覗きに来てくれるんだから。

 発見のメディアと地球的関心

インターネットは発見のメディアだと思っている。発見するためにみんなが使っている。だから、発見されるようなクオリティのあるコンテンツを流さないと発見してはくれない。
昔、ユーゴスラビア内戦時、当時の体制に反対していたラジオ局があって、頻繁に政府から電波を止められていたんだけど、それ以前のハンガリー動乱時のように「みなさんさようなら」とは言わなかった。
放送局が電波を止められてもインターネット放送で情報を出し続けていたからね。 世界中の通信社や放送局は、そのインターネット放送を聴いて引用した。それで世の中ずいぶん変わったことを実感したね。
せっかくインターネットという地球的なメディアを使うんなら地球的関心をもつことが大切だと思う。結局それは語学の習得であったり、地政学や歴史に興味をもっていくことなんだろうね。インターネットには疑問に必ず答えてくれる情報があると思うよ。

軽やかにスマートフォンを操作する木村さんと、パソコン通信で使っていた当時の端末
酒井穣氏
木村 太郎 氏 略歴

1938 年、2 月12 日合衆国カリフォルニア州バークレー市で生まれる。
1941 年帰国する。1964 年、慶応義塾大学法学部卒業。同4月NHK に入局。記者として神戸放送局、報道局社会部に勤務する。
1974 年~ 1976 年ベイルート特派員、内戦に巻き込まれ戦争の取材に終始したあと、1976 年~ 1978 年ジュネーブ特派員、
1980 年からワシントン特派員としてレーガン政権の誕生を目撃。
1982 年2月に帰国し、『ニュースセンター9時』の4代目キャスターに就任。
以後1988 年4月まで6年間キャスター席に座る。1986 年に「第12回放送文化基金賞」、1988 年に国際報道を通じ、国際理解に 貢献したジャーナリストに与えられる「1987年ボーン上田記念国際記者賞」を受賞する。『ニュースセンター9時』の終了とともに1988 年4月NHK を退社し、同5月木村太郎事務所を開設。
フリーランス記者として新しいスタートを切った。
1990 年4月より1994 年3月までFNN「ニュースCOM」のキャスター、同4月から平成2000 年3 月までFNN「ニュースJAPAN」、同4月よりFNN「スーパーニュース」でニュース・アナリストを務める。FNN「Mr. サンデー」に隔週出演中。
東京・中日新聞にコラムを毎週連載中。

1993 年、逗子・葉山コミュニティ放送株式会社(湘南ビーチFM)を設立し、代表取締役社長をつとめる。また、コミュニティ・サイマルラジオ・アライアンス(CSRA) を立ち上げ、代表に就任、サイマル放送の拡充につとめる。


湘南ビーチFM ホームページ

CSRA ホームページ

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